今までのところの映画遍歴を。私がどういう人間かわかる人には大体わかる…かも。

 1978年に生まれる。
 小学生の頃:『スターウォーズ』にハマってた。ルーカス、スピルバーグなどハリウッド大作中心に観てた。一方で『男はつらいよ』や高倉健のヤクザ映画がテレビで放映されるとチェックしてた。ジャッキー・チェンも好き、でもブルース・リーは怖いからあまり好きじゃないという感じ。スティーブ・マーチンの『愛しのロクサーヌ』を観てコメディというジャンルも知る。

 中学生の頃:基本的にはハリウッド大作中心は相変わらず。ただ少し大人ぶりたくなって、往年の名作と呼ばれるものも観てみたりするが、性にあわず…。チャップリンをよく観たのもたぶんこのころ。テレビ放映していた『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』を観て香港映画(というよりジョイ・ウォン…)に興味も持つものの『男たちの挽歌』はまだ理解できない子供でした。5本立て上映で観た『学校』で山田洋次監督が大嫌いになるものの裕木奈江という女優を知るという収穫も。『曖・昧・Me』は小遣いはたいてLD購入。

 高校生の頃:ジャッキー・チェンの『酔拳2』が公開され香港映画熱が一気に燃え上がる。アニタ・ムイを追うことで『男たちの挽歌Ⅲ』も観賞。映画館で『レオン』を観ていまいち感動できずにいたその日の深夜、テレビ放映されてた『狼/男たちの挽歌・最終章』を観て「これだ!」。以後、チョウ・ユンファの作品を中心に香港映画を観はじめる。難しい映画も観なきゃという考えからテオ・アンゲロプロスの映画なんかも観るが、きっかけは『霧の中の風景』を紹介した記事のタニア・パライオログウが素敵だったからだったりする。

浪人生の頃:一年間の浪人生活。気晴らしに観た『必殺!主水死す』を映画館で観て感動。最後の出陣で主題歌が流れるという演出に香港映画に通じるものを感じた。ちょうどその頃はテレビで『必殺必中仕事屋稼業』『必殺仕切人』『必殺仕掛人』『助け人走る』を再放送しており(たぶんこの順序だったと思う)、サントラ集も発売、必殺ファンになる要素は揃ってた。当然必殺ファンに。この流れで工藤栄一、深作欣二、三隅研次などの作品も観る。勝新太郎の作品を観るきっかけもこのへん。

大学生の頃:一人暮らしをはじめたので少しアダルトな作品も観るように…笑。ホラーにも挑戦したりするが、これといって楽しめず。香港映画、日本映画を中心にアニメも取り混ぜビデオを観まくる。ペースとしては一番多い時期かもしれない。平均すれば一日一作は観てた。

その後:金庸の武侠小説が翻訳で出はじめたことで香港の古装片にも改めて興味が。『楽園の瑕』が案外いい映画(ウォン・カーウェイでは最高傑作)だと知る。→東映の映画館がつぶれる際に上映していた『仁義なき戦い』シリーズを観て感動。梶芽衣子を知る。プログラムピクチャアを集中的に観賞。→韓国映画もちょっとだけ観るが、それほどハマることなく香港映画中心が続く。→ちょっと落ち込むことがあり(笑)、考えずに楽しめる映画ということでブラッカイマー作品のようなハリウッド大作をよく観るように。渡米後のジョン・ウーはずっと避けてきたが『フェイス/オフ』は傑作だった。一方でどよよーんと浸りたい気分の時もあり、押井守の作品なんかも観るように。『イノセンス』は「孤独に生きよ。悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象の如く」という言葉を教えてくれた心の映画の1本。

 で、今に至る。どんな人間かわかりますか?笑